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聖女ワルトルーディス
   St. Waltrudis Vid.                    記念日  4月 9日


 聖女ワルトゥーディスは680年今のベルギーのヘンネガウ州に生まれた。両親はフランスのメロヴィング王室の親戚にあたり、その血縁からは聖女アデルグンディス、その夫聖ヴィンセンシオ、その三子ランドリコ、聖女マデルベルタ、聖アデルトルーディス等多数の聖人を出している。

 ワルトルーディスは年頃を迎えると父母の希望に従って、マデルガルという貴族の一青年と結婚したが彼等は全くキリスト教的夫婦の典型ともいうべく、己の家庭の祈りの道場とし、財産は慈善事業に投じ、四人の子供は天主の愛子として清く育てた。その中一人は早く死んだが、残る三人は男を聖職者に、女を修道女にしてことごとく天主に献げた。かように敬虔な二人であったから、間もなく子供等の後を追って自らも修道生活に入ろうと望むに至ったのも当然の成り行きと言えよう。

 で、彼等は共にその決心をし、夫マデルガルがまず修道院を建てて修士となり、ヴィンセンシオと名乗って克己修徳の道に入った。妻ワルトルーディスはなお暫く城に留まって慈善と信心の業にいそしんでいたが、ある隠者の勧告に従いカストリエーの山中に入って隠遁生活をしようと思い立ち、司教アウトベルトから修道女のヴェールを授けられ、苦行と祈りとに精進する事となった。その間折々悪魔が以前の安楽な暮らしを思い出させたり、世の快楽を想像させたりして彼女の修道を妨げようと努めた事もあったが、ワルトルーディスは常に勇猛心を以て之と闘い、決してその誘惑に陥るような事はなかったのである。

 ある時モーベージュの女子修道院長である妹のアデルグンディスが彼女の許を訪れ、その庵の貧しさ粗末さに驚き、気の毒に思って私共の修院へおいでになっては如何ですかとすすめたが、之を聞くとワルトルーディスは襟を正し、私共の為天の王宮から降って人の世の貧しい生活に甘んぜられた聖主の事を思えば、この貧しさに住するこそ却って本望ですと言って断ったという。その後ワルトルーディスの高徳の聞こえは漸く天下に高く、風を慕って彼女の指導を仰ぎ、共に修道生活を為すべく集い来る婦人の数も次第に多きを加えたから、やむなく修道院を設けたが、後にその周囲に移り住む者多く、ついにモンとよぶ都市と発展するに至った。

 さて、不退転の努力に完徳を求めたワルトゥーディスは、688年4月9日カストリエーの修道院で永眠したが、その墓は後年その上に壮麗な大聖堂が建築され、今なお多くの信者の尊敬を受けている。

教訓

 聖女ワルトルーディスとその夫は、三人の子をことごとく天主に献げたのみか、後にはわが身をも献げた。しかし彼等は今天国でそれをどれほど幸福に感じているであろう。それは主が「総て我が名の為に或いは家、或いは兄弟、或いは姉妹、或いは父、或いは母、或いは妻、或いは子供或いは田畑を離れる人は百倍を受け、かつ永遠の生命を受くべし」(マテオ19−29)と仰せられた如くこの世の犠牲はあの世で溢れるばかりに報いられるからである。されば我等も短くはかない現世の快楽を捨て去って、永遠不滅の天福を選ぶこそ賢明な道である事を忘れてはならぬ。